故毛利総七郎氏グラフィティ
- Whom is Mouri ? -

故毛利総七郎と彼のコレクション

数多くのコレクションと共に(昭和8〜9年頃)
「単なる趣味、道楽ですよ。それが勲章をいただくなんて…」

と、肩をすくめて昭和45年11月、勲五等瑞宝章の叙勲のインタビューにこたえた毛利総七郎氏は、明治21年住吉町に生まれました。

 12・3歳の頃、切手やマッチのラベルを集めたことがきっかけとなり、以来70数年間にわたって集めた資料は、膨大かつ貴重なコレクションとして国内外に広く知られています。

 集められた資料の内容は、灯火具・喫煙用具・衣服等の生活用具、寛永通宝・坩堝(るつぼ)・枝銭等の石巻鋳銭場関係資料、鍔(つば)・鞘(さや)等の刀剣関係資料、ひげべら・食器等のアイヌ関係資料、浮世絵、古文書、絵図等々多岐にわたっています。

 なかでも、明治42年から20年間にわたり、莫大な私財を投じて沼津貝塚・南境貝塚を発掘した遺物は約2万点にも及び、それらの出土品中473点が重要文化財に指定されています。

 沼津貝塚を発掘調査していたころの逸話として、次のようなことが伝えられています。

 泥だらけの体で発掘現場から帰ってくると、
「風呂、早く沸かして・・・・・・」
家人は急いで風呂を沸かすと、汚れた体を洗い流すと思いきや、土のついた土器や骨角器を風呂のお湯でせっせと洗うのが常だったということです。

 毛利さんが心をこめて土を洗い落とした骨角器のうち12点は、大正15年スウェーデン皇太子が毛利コレクションを訪れたときに献上され、海を渡ってスウェーデン王室博物館に展示されています。

 また、コーニングガラス社社長令嬢が訪れたとき、仙台ガラスに大変興味を持った姿をみて、10数点を令嬢に贈呈され、それらは現在アメリカ合衆国ニューヨーク州にあるコーニングガラスセンター内に設置されているガラス美術館に展示されています。

 このように国内のみならず世界的にも知られている毛利コレクションでありながら、毛利さんは乞われれば集めた資料を快く貸し出しに応じられ、個人所有ではありながら決して私物化するようなことはありませんでした。毛利コレクションの資料のお世話になって論文を書かれた方々は多数いらっしゃいます。

 現在、毛利コレクションはお孫さんの伸氏によって維持運営されています。あまりにも貴重で、膨大なコレクションを個人の手によって運営していくことは大変な労苦を伴っていることだろうと思います。それをいとわず総七郎氏の意志を継ぎ、来訪者の意に添うように対応されている毛利家には、ただただ頭の下がる思いです。


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故毛利総七郎氏略年表

明治21年6月2日毛利理惣治・たねの次男として牡鹿郡石巻村住吉町163番地に出生。
明治33年小学校高等科1年(現小学校5年生)のとき、沼津貝塚でヤジリ(石鏃)2個を発見する。これをきっかけに考古学に興味を持つ。
明治36年3月31日石巻尋常高等小学校を卒業。
明治42年この年から沼津貝塚を遠藤源七氏とともに発掘調査を行う(昭和5年まで11回)。
大正2年3月31日東京簿記精修学館を卒業。
大正5年この年から本格的に沼津貝塚・南境貝塚の発掘調査を行う。
大正15年岩蔵建つ。自宅敷地内に岩造り31坪の考古館を建設
昭和2年9月22日石巻庶民金庫(現石巻信用金庫)理事に就任。
昭和4年6月21日石巻町会議員(1期)に就任。
昭和8年4月10日石巻市会議員(連続3期)に就任。
昭和15年『陸前沼津貝塚骨角器圖録』を、非売品として限定出版。
昭和25年1月31日石巻市公民館運営審議会委員に就任。
昭和25年9月16日宮城県史編纂委員会委員に就任。
昭和28年『陸前沼津貝塚骨角器圖録解説』を、非売品として限定出版。
昭和28年5月20日石巻市より議員として17年以上勤続し、郷土の文化財収集保存に努めた功績により市政功労者と顕彰される。
昭和34年5月9日石巻信用金庫理事長に就任。
昭和34年6月24日石巻市教育委員会より文化財収集・保護に尽力した功績により社会教育功労者とし顕彰される。
昭和40年11月3日宮城県教育委員会より、郷土の文化財を収集保護し資料活用に貢献した功績により表彰される。
昭和43年1月17日河北新報社より考古資料を発掘保存し、地方文化の発展に寄与した功績により第17回河北文化賞を受賞。
昭和43年11月3日宮城県より教育文化功労者として顕彰される。
昭和44年11月23日石巻市より礼遇者として顕彰される。
昭和45年11月3日埋蔵文化財の発掘調査および出土品等郷土文化財の保存公開に努め、文化財の保存と普及に尽力した功績により勲五等瑞宝章を受章する。
昭和47年9月30日石巻信用金庫理事長を退任。
昭和49年11月23日石巻市より第1回目の芸術文化功労者として顕彰される。
昭和50年1月8日石巻市住吉1丁目の自宅で、86歳の生涯を閉じる。

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