◇チュニジア共和国とは◇
国 名 チュニジア共和国
首 都 チュニス(人口約60万人)
面 積 16万2155平方メートル(日本の約半分)
人 口 940万人
時 差 8時間(日本より8時間遅れ)
公用語 アラビア語 |  チュニジアの国旗 |
位 置 アフリカ大陸最北端。シシリー海峡をはさんで イタリアの対岸に位置します。 チュニス(Tunis)からローマへの航路は1時間 で東京〜大阪間とほぼ同じ距離。パリ・マドリッ ド・ジュネーブ・フランクフルトからは約2時 間、ロンドン。アムステルダム・ブリュッセル・ カイロ・カサブランカからは約3時間です。 |  |
風 土 小高い丘Tell(テル)に覆われた緑の多い山岳地帯の北部、ステップ気候の草原がサヘ ル沿岸地まで広がる中央部、ショット(Chotts 塩湖)、広大なサハラ砂丘(Dunes du Shar a)、草木の生い茂ったOasis(オアシス)などがある南部と大きく3つの地域に分けることがで きます。
気 候 地中海性気候でそれぞれの季節の平均気温は、チュニスで冬16℃、春24℃、夏30 ℃、秋25℃です。チュニジアは、その温暖な気候から”緑のチュニジア Tunisie la Verye”と 称されます。
歴 史 伝説のフェニキア人の王女アリッサ。チュニジアの歴史は、この王女による紀元前9世紀 のカルタゴ建国に始まる。チュニス近郊のカルタゴに拠点を置き、恵まれた立地と豊かな自 然を武器に、カルタゴは地中海を代表する大国として栄華をきわめる。しかし、しだいにロー マ帝国と地中海の覇権をあらそうまでになり、三度にわたり戦争がおきることになる。紀元 前3世紀の第2次ポエニ戦争では名将ハンニバルが勇名をはせるが、紀元前146年の第 3次ポエニ戦争でカルタゴは全面的な敗北を喫してしまう。カルタゴの街は灰燼に帰し、カル タゴ再興をおそれたローマ軍は大地に塩をまき、カルタゴの地は草木1本生えない不毛の 地になったと伝えられている。 それから1世紀のち、ローマ帝国はカルタゴの再建にとりかかる。カルタゴはローマ帝国の 穀倉地として発展し、周辺地域に殖民都市を次々と築いていった。現在のチュニジア各地に 残る遺跡がローマ帝国往時の隆盛を今に伝えている。 さらに5世紀以降は、ヴァンダル人やビザンチン帝国の支配をうけ、7世紀後半はアラブ 王朝がおこり、現在にいたるまでイスラム教徒が国民の大半をしめている。8世紀以降もさ まざまなアラブ王朝が興亡をくりかえし、16世紀のオスマン・トルコ支配を経て、1881年に フランスの保護領となるが、1956年に独立し、以来、チュニジア共和国として発展し続けて いる。
※チュニジア政府観光局、チュニジア大使館・文化部発行パンフレットより | |
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