大謀網
 大謀網と番屋跡

 田代島の周辺には,江戸時代から明治にかけて和良美(ワラビ)・松石・正島・釜石などの組(くみ)組織(20人から30人)で行われる大謀網(大網)が盛んで,昭和6年,大謀式定置網から現在の落網(おとしあみ)式に改良され,真いわし・まぐろ・ぶり・さばなどを漁獲していました。
 大謀網には4隻の網船が用いられ,魚が身網(みあみ)に入ったのを知るとイオミ【魚見櫓(いおみやぐら)】では番屋(漁師宿泊所)に魚が入ったことを大漁旗と吹流しを揚げて合図し,番屋ではその合図を見て,網船を出し並んで網起しをして,魚捕網(すどあみ)まで追い込み漁獲していました。
 初漁の時は,網主が番屋近くの「えびす」と呼ぶ岬に俵ばしにシトギを5個から7個あげ拝み「えびすたて」をし,またマグロのホシ(心臓)は番屋の神棚に供えて大漁祈願をしたとのことです。
 
 ※ 大謀・・・・漁労長のこと
 ※ シトギ・・・白米を水にひたし柔らかくし
          たおにぎりのこと
 
番屋跡漁業風景